心をちょっとラクにする。自己嫌悪から抜け出す小さなヒント。「~すべき」という呪縛が原因かもしれません。

心理・メンタル
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こんにちは、Akitoです。
今回はいつもと少し違うテーマですが、「心をちょっとラクにする」という観点から、ライフハックの一つとしてこの記事を書きました。

私は10代半ばから20代半ばまで、実に10年近くのあいだ、精神的な苦しみや生きづらさを抱えていました
その中心にあったのは自信のなさ自己嫌悪です。

もちろん、自己嫌悪の理由は人によって異なります。
ですが、私自身がそれを克服してきた経験から、少しでも読者の心をラクにするヒントになればと思い、この記事を書いています。
すべての人に当てはまるわけではないかもしれませんが、参考程度に読んでいただけたら嬉しいです。


自己嫌悪のきっかけ:なぜ自分を責めてしまうのか

そもそも、あなたはどうして自己嫌悪してしまうのでしょうか。
人を傷つけたからでしょうか?
ルールを守れなかったから?
それとも、頑張れなかったからでしょうか?

いずれにしても、何かを「してしまった」あるいは「できなかった」ことで、自己嫌悪に陥ることが多いのではないでしょうか。
私の場合もそうでした。

「ちゃんとしなくちゃ」と思っているのにうまくできない。
「人に迷惑をかけるべきではない」と思っているのに、人に迷惑をかけてしまった。

そんなとき、私は強い自己嫌悪を感じていました。


「~すべき」という思考の呪縛

どうしてこのような場面で、私たちは強い自己嫌悪を感じてしまうのでしょうか。
それはもしかしたら、「~すべき」「~すべきでない」といった思い込みに憑りつかれているからかもしれません。

たとえば、あなたはこんなふうに考えていないでしょうか?

  • 人には優しくすべき
  • 人に迷惑をかけるべきではない
  • ちゃんと働くべき
  • 礼儀正しくすべき
  • 努力すべき
  • 悪いことはすべきでない

一見すると、どれも「当たり前」のように感じるかもしれません。
しかし、この“当たり前”を自分や他人に厳格に当てはめすぎると、それは強いルールとなり、やがて自分を苦しめる強迫観念へと変わっていきます。

その結果、自分がそのルールを守れなかったときに強い自己嫌悪を感じたり、
守らない他人に対して怒りを感じたりするのです。


「~すべき」が生む自己嫌悪と他者への怒り

たとえば、「人に迷惑をかけるべきではない」と信じているとします。
この考え自体は、思いやりに満ちた素晴らしいものです。
しかし、それが強すぎると、次のような小さな出来事でも心を痛めてしまうことがあります。

「今のって迷惑だったかも……」
「さっき通路の真ん中で立ち止まっちゃった……」

ほんの些細なことでも、まるで重大な過失を犯したかのように感じてしまうのです。

そして、同じルールを守らない他人に対しては、こんなふうに強い怒りを覚えることもあります。

「なんであんなところで立ち止まるの?」
「迷惑かけたのに謝らないってどういうこと?」

つまり、「~すべき」という強い価値観は、できない自分への嫌悪と、従わない他人への怒りの両方を生んでしまうのです。


他人の価値観は変えられない

ここで覚えておいてほしいのは、「人は変えられない」ということです。
たとえあなたが「~すべき」と思っていても、他人には他人の価値観があります。

あなたが「それが当然」と思っていることでも、相手は「いや、それよりも大切なことがある」と感じているかもしれません。
実際、あなた自身の価値観だって、誰かに押しつけられたからといって簡単に変わるわけではないはずです。

同じように、他人の価値観も簡単には変わりません。
だからこそ、自分の感じる「正しさ」だけで人を裁かず、
「違う考えもある」という前提で人と接することが、心をラクにする第一歩になります。


「~すべき」は本当に正しいのか?

あなたの中の「~すべき」は、本当に正しいのでしょうか?
少し冷静になって考えてみてください。

たとえば「人に迷惑をかけるべきではない」。
これはとても大切な考え方であり、私自身も長くそう信じてきました。
しかしその一方で、「~すべき」という道徳やマナーは、文化・社会・個人の価値観によって大きく変わるものでもあります。

つまり、あなたにとっての“正しさ”が、誰にとっても正しいとは限らないのです。


文化や価値観の違いが示す「正しさ」の幅

たとえば、欧米の個人主義的な文化では「困ったときはお互い様」という考え方が根付いています。
自立が重視される一方で、困っている人を見たときには「迷惑かどうか」ではなく、「助けるのが当然」と考える人も多いのです。

インドの一部でも、「人は一人では生きられない」という前提に基づき、お互いに助け合う文化が存在します。

私自身、以前付き合っていた外国人の女性からこう言われたことがあります。

「人は人に迷惑をかけながら生きているんだから、人のことも迷惑がらないで助けてあげるべきでしょ?」

この言葉を聞いたとき、
「迷惑をかけるのは絶対ダメ」という自分の常識が、絶対ではないことに気づかされ、強い衝撃を受けました。


自分の「当たり前」は、他人の「非常識」かもしれない

ここまでは外国の例を挙げましたが、日本人同士であっても「何が正しいか」は人によって異なります。
あなたの「〇〇すべき」も、あくまであなたの中で形成された価値観にすぎません。

それが間違っているとは限りませんが、同時に絶対に正しいとも言えません。
だからこそ、自分の“正しさ”を厳しく押しつけすぎると、息苦しさや衝突を招いてしまうのです。


自分のことを責めすぎていないですか

上記のように「〇〇すべき」は、あくまであなたの中の価値観であって、それが100%正しいわけではありません。
であれば、それを「100%守らなければならない」と考えるのも、少し過剰かもしれません。

たとえば「人を傷つけるべきではない」という考え方がありますが、私は「人をできれば傷つけたくないけど、たまには傷つけてしまっても仕方ないよね」と考えています。
知らず知らずのうちに誰かの地雷を踏んでしまったり、何気ない言葉で相手の気分を害してしまったり。
どれだけ気をつけていても、それを100%防ぐことは不可能なのです。

私もあなたも含め、人間は不完全な生き物です。
心に余裕がないときは、つい感情的になって人を不快にさせてしまうこともあるでしょう。
それをその都度、強く自己嫌悪していたら、息苦しくなるのは当然です。

「人を傷つけるべきではない」と過剰に厳格化するのではなく、
「たまには傷つけてしまうこともあるよね」と自分にも他人にも寛容な態度で、
相手が傷ついたと分かったら素直に謝ればいいくらいの心持ちで十分なのです。


自己嫌悪は本当に償いなのか?

ここまでは、「すべき」は絶対ではないこと、そして自分を責めすぎなくてもいいことをお話ししてきました。
ただ――ここからは少し踏み込んだ話になります。

もしかしたら、「自己嫌悪」は償いの心でもなんでもなく、自分を正当化するためのプロセスにすぎないのかもしれません。

自己嫌悪に陥ったとき、人は「自分はダメな人間だ」「なんであんなことをしたんだろう」と何度も繰り返し、自分を責めることで、あたかも“罪を償っている”ような気持ちになります。
しかし、罪悪感は他の誰でもなく、自分の心の中に生まれるものです。
その不快な感情を「自己嫌悪」という自己罰で覆い、

「これだけ自分を責めている私は悪くない」
「こんなに苦しんでいるのだから、何も感じていない人よりマシ」

――そんなふうに、無意識のうちに罪悪感をなだめ、ごまかしているケースも少なくありません。

「そんなことはない。私は本気で反省している」と思う人もいるでしょう。
しかし、どれだけ自己嫌悪を繰り返しても、
「やるべきことをやらなかった」「してはいけないことをしてしまった」――
その事実は何ひとつ変わりません。


自己嫌悪は何も変えない

少し厳しい言い方になりますが、
「反省」「落ち込み」「自己嫌悪」は、何の役にも立ちません。

本当に向き合うべきなのは、
「どうすれば同じことを繰り返さないか?」という現実的な対策です。

できなかったこと、してしまったことに対しては、

  • 原因を探る
  • 対策を立てる
  • 実行する

この3つをしなければ、同じ失敗を繰り返すだけです。
裏を返せば、これさえできていれば、自己嫌悪に陥る必要はないのです。

たとえば、勉強が続かないなら時間の使い方や生活習慣を見直す。
仕事でミスをしたなら、原因を分析して仕組みを改善する。
やるべきことは、本来そのシンプルな部分にあります。

ただ自己嫌悪に浸るのは、問題解決を放棄し、罪悪感をやわらげ、自分を勝手に許しているだけ。
言い換えれば、「責任を果たさない代わりに、自分を責めてお茶を濁している」のです。

自己嫌悪は一見「償い」のように見えて、
実は現実から目をそらす自己満足にすぎない場合があります。

本当に反省したいのなら、
「次に何をするか」を考え、行動に移すこと。
――それだけが、唯一あなたを前に進ませます。


自己嫌悪そのものは悪ではない

ここまでいろいろ述べてきましたが、私は「自己嫌悪が悪い」と言いたいわけではありません。
自己嫌悪をきっかけに状況を改善できるのであれば、それはとても素晴らしいことです。
たとえ改善につながらなかったとしても、自分を責める気持ちそのものは決して悪ではありません。
そうした感情が生まれるのは、ごく自然なことです。

ただし、過剰な自己嫌悪は多くの場合、気分や心身に悪影響を及ぼし、苦しさを増す原因となります。
放っておけば、うつ病など精神的な不調の引き金にもなりかねないため、注意が必要です。

自己嫌悪に陥りやすい人の多くは、とてもまじめな人です。
まじめであることは一見良いことですが、それが過剰になると自分を追い詰め、何も変えられないまま苦しみを深めてしまうことがあります。
そうなると、まじめさは「良いこと」どころか、むしろ自分にマイナスになる「悪いこと」になってしまうのです。

まじめすぎるということは、裏を返せば――
あなたはそもそも、自己嫌悪に陥る必要がない人ということなのです。

「“べき”を他人に押し付ける危うさ」

世の中には、本当に多様な考え方を持つ人がいます。
たとえば、動物を大切にするあまり動物性の食品を一切摂らないビーガンの人もいれば、日本文化を重んじるあまり外国文化を毛嫌いする人もいます。
逆に、多様性や平等を重視するあまり、日本の伝統や慣習を軽視する人もいるでしょう。

何が正しくて、何が間違っているかは人によって異なります。
ここで伝えたいのは、「正義や価値観は人それぞれだ」という一点です。

たとえばーー

  • ある宗教の人があなたに「豚肉を食べるな」と言ってきたら?
  • 「塾に通わせるべきだ」と考える人が、あなたの子どもに対して「それじゃ将来困るよ」と言ってきたら?
  • 「男なんだから泣くな」「女なんだからそんな服を着るな」と言われたら?

私自身はこうした考えを持っていないため、こう言われたら不快な気持ちになります
けれど、本人たちは真剣に「それが正しい」と信じているのです。

私は、このように“自分の正しさ”を他人に当てはめることを「道徳の押し付け」と呼んでいます。
そして、はっきり言えばこれはよいことではありません。
多様性が尊重される現代社会では、なおさら問題になりやすい考え方です。


「~すべき」という考えが道徳の押し付けになっていないか

ここで、あなた自身の価値観にも目を向けてみてください。
もしあなたが「〇〇すべき」と強く信じているなら、それが他人への押し付けになっていないか、一度考えてみる価値があります。

たとえば、ある人が女性であるあなたに「なんで女なのにそんな服を着るんだ!」と怒ったとしましょう。
これは、まさに自分勝手な道徳の押し付けです。

「人に迷惑をかけるべきではない」
「人には優しくすべき」
「ちゃんと働くべき」
「努力すべき」

こうした考えも、状況によっては他人への押し付けになり得ます。
あなたが自分の信じる道徳に反する人に対して怒りを感じたり、それをぶつけたりしているとしたらーー
そのとき、あなた自身も「道徳の押し付け」というよくないことをしているのかもしれません。


まとめ:「~すべき」を手放しても、あなたの本質は変わらない

ここまで、「~すべき」というあなたの道徳はすべての人に当てはまるものではないこと、そしてそれが必ずしも“正しい”とは限らないことをお伝えしてきました。
つまり、あなた自身そこまで強く自分を縛る必要はない、ということなのです。

とはいえ、中には「この信念をゆるめたら、自分の道徳心までなくなってしまうのでは?」と不安を感じる人もいるでしょう。
「妥協しているようでイヤだ」「誠実じゃなくなる気がする」ーーそう思うのは自然な感情です。

けれど、安心してください。
「〇〇すべき」という考えを手放しても、あなたの道徳心や誠実さが消えるわけではありません。
ただ、その“形”を少し変えるだけでいいのです。

たとえば、「〇〇すべき」を「私は〇〇したい」に置き換えてみてください。
すると、考え方がこう変わります。

「あの人はルールを守らないけれど、私は守りたい」
「あの人は優しくないけれど、私は優しくありたい」

このように「~したい」という願望としてとらえることで、たとえできなかったとしても、自分を強く責める必要がなくなります。

「でも、そうすると怠けてしまうのでは…」と不安に思う人もいるかもしれません。
けれど、思い返してみてください。
これまで「自己嫌悪」してきたからといって、できなかったことができるようになったわけではないはずです。

自己嫌悪は、あなたを責めるだけで、行動を変える力はほとんどありません。
しかし、このように考え方を変えれば、むしろ自分を責める負のエネルギーから解放され、前向きに行動できるようになる分、プラスになることのほうが多いのです。

「〇〇すべき」を守れなかった自分を責めても、過去は変えられません
けれど、「私は〇〇したい」と素直に向き合えば、これからの行動は変えられます

大切なのは、あなたの中の道徳心をどう活かすかであって、それに縛られて苦しむことではないのです。


今日お話ししたことはすべての人に当てはまるわけではないかもしれませんが、少しでも自己嫌悪に悩んでいる方々がそこから抜け出すヒントになればいいなと思い書いてみました。
今後も生活の質を高める記事や暮らしを楽にする記事、そしてこういった精神的に楽になるための記事も書いていく予定です。
ぜひ他の記事も見て行ってください。

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