こんにちはAkitoです。
前回の記事では、弱者男性であった過去の僕の話をしました。
弱者男性と言って差し支えなかった僕が、現在の生活を手に入れるまでに、大きな転機となった出来事をお話ししたいと思います。
僕の人生が変わり始めたのは、「価値観が壊れた瞬間」でした。
今回は、僕の中で価値観を大きく変えた出来事についてです。
精神的・価値観の転機:道徳という名の「自信泥棒」
20代前半の僕は、親や学校から教わった「普通の価値観」を疑いもせず、それに従うことだけを指針にしていました。
- 「人に迷惑をかけてはいけない」
- 「誰にでも優しく」
- 「いつも礼儀正しく」ーー。
もちろん、それは人として大切なことです。
しかし、この「普通の正しさ」が、当時の僕を深く悩ませていました。
なぜなら、世の中の問題は決して白か黒かでは割り切れず、どちらの意見も正しく見えることがあまりに多いからです。
そんな時、僕は自分の意見に全く自信が持てませんでした。
教わった通りの道徳心では「こっちが絶対に正しい!」と言い切れないし、誰かに「お前は間違っている。なぜなら~」と理屈で攻められると、一言も反論ができない。
そしてその場をやり過ごした後、「やっぱり自分が間違っているんだ」と確信してしまう。
結局、いつも自分が間違っているような気がして、自分を信じることができませんでした。
それでも「正しくありたい」と願っていた僕は、せめて教えられた「人に迷惑をかけてはいけない」というルールだけは死守しようと必死でした。
その結果、自己主張もできず、常におどおどして、他人の顔色ばかりを伺う。そんな状態で、自分という人間を見失っていたのです。
「男はつらいよ」との出会い:溶けていく「迷惑」の定義
そんな僕に訪れた一つ目の転機は、祖父の家でたまたま目にした映画『男はつらいよ』でした。
最初はただ、軽い気持ちで見て笑っていました。
主人公の寅さんは、行く先々でとんでもない騒動を起こし、親戚や周囲の人たちを振り回します。客観的に見れば、迷惑この上ない行動ばかりです。
しかし、ふと我に返って気づいたのです。
作中の登場人物たちは、みんな困らされてはいるけれど、誰一人として寅さんを本気で嫌悪していない。
それどころか、画面の前の僕自身も、彼に嫌悪感どころか不思議な魅力を感じていたのです。
当時の僕は、「人に迷惑をかけること」も「迷惑をかける人間」も、心の底から嫌悪していました。
それなのに、なぜ僕は寅さんを見て笑っていられるんだろう?
考えて、一つの答えに行き着きました。
寅さんには、相手を陥れようとする「悪意」や、自分だけ得をしようとする「ずるさ」が微塵もなかったのです。
それに気づいた瞬間、「迷惑=悪」という僕の前提は崩れました。
絶対に人に迷惑をかけてはいけない、そう自分を厳しく律して縛り付けていた僕の価値観が、初めてグラリと揺れました。
故意でないのなら、自分に対しても他人に対しても、そこまで厳格でなくてもいいのかもしれない。
人間関係はもっと、柔軟でいいのかもしれないーー。
この小さな気づきが、僕の心を覆っていた呪縛を解く最初の一歩となりました。
異国での価値観崩壊
二つ目の大きな転機は、カナダ・バンクーバーへの留学(という名の旅行)です。
ブラック企業での長時間労働に耐えきれず、1年そこそこで退職してしまった僕は、少し貯めていたお金で異国の生活を体験することにしました。
異国での生活は、お金の管理一つ取ってもシビアでした。
しかし、それ以上に僕の価値観を揺さぶった出来事がありました。
ある日、バスに乗っていると、乗ってきた女性が運転手と話し込んだ後、バスは本来のルートを外れて全く違う道を走り始めました。
そしてその女性をルート外の場所で降ろし、運転手は僕たち乗客にも「このバスは車庫に戻るので、降りてください」と告げました。僕は動揺しました。
なぜなら、これは日本では絶対に起きないことだと思ったからです。
緊急事態なら警察や救急を呼ぶのが普通で、バスを勝手にルート変更するなんてありえないーーそう思ったのです。
動揺と、わずかな憤りを覚えた僕でしたが、おそらく運転手にとってはそれが正しい判断だったのでしょう。
この経験は、僕の中の前提を大きく揺さぶるものでした。
そこで初めて、こう考えました。
絶対的な「正しさ」は存在しないのではないか、と。
「世の中の正しさなんて、みんな自分で決めているだけなのかもしれない」
それまで、僕は常識や道徳に自分の価値を委ねていました。
しかし、この瞬間から、正しさを人から与えられるものではなく、自分の中で定義するようになりました。
さらに、自分で正しさを定義する以上、それを説明できるだけの理路整然とした根拠を、自分の中に持つ必要があると考えるようになりました。
小さな革命
こうして僕は、価値観を根本から疑い、自分なりのルールで世界を見るようになりました。
親や学校から教えられた価値観をそのまま信じるのではなく、自分で考え状況に応じて柔軟に行動する。
「常識だからこうするべき」や、「○○はすべきではない」という思い込みに縛られるのではなく、「常識はこうだけど、これっておかしいよね。」であったり、「○○は通常すべきじゃないけれど、この場合はむしろした方がいいんじゃないか。」といった、柔軟で一歩踏み込んだ考え方をするようになりました。
こうした価値観と考え方の変化が、のちに人生の希望や戦略を作る大きな土台になったのです。
次回の記事では、これまで危険だと思い込んで避けていた「投資」との出会い、そして初めて「このままでも人生を変えられるかもしれない」と思えた瞬間について書いていこうと思います。


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